依存心から脱して、自らの脚で立とうとする自立の精神が、先生や村人の中に芽生えてきたことを感じた。
 今回、私は先生たちと、村人の自立支援の方策を具体的に話し合った。来年校舎ができたら、放課後は、村人、特に女性たちや生徒たちを集めて、編物、織物、糸つむぎなどの講習会をし、それらの手仕事を製品にして売るという方策だ。私は、近くの町のデラドンや、ビハリガルなどに店を借りて、そこで売ることにしたらいいと提案した。売り上げの半分は生産者のものとし、半分は店の家賃や売り子の給料や材料費などの費用にしようという案も出された。みんな生き生きとして嬉しそうだった。自分達で生産し、それで女性たちが経済的に自立できることをみんな想像したのだ。教育費も出せるだろう。
 私のデリーの多くの知人も協力してくれるという。生産された糸を買い上げて、布と交換するシステムができあがっているので、そのルートで売ればいい。糸つむぎの器械も提供してくれる人が居る。編物ができる村人が居て、みんなに教えると言っている。この貧困の村で、学校を中心にしてこのような生産体制ができれば、経済的な向上は夢ではない。

II どんな援助をすればよいか
 はじめは、ただ貧しくて学べない子供たちに学ぶ機会を提供したいという単純な動機からこの学校を始めた。経済的にはすべてこちらが負担するのは当然のことだと考えていた。当初から先生たちの給料、家賃、教科書代、文房具代、カバンなど、すべてこちらで負担してきた。
 しかし、本来、自分でできることは自分でするのが当然なのだ。この学校の生徒の親たちは、飢え死にするほど貧しいわけではない。毎日ちゃんと食べている。衣服も着ている。貧しいながら家もある。努力すれば、1ルピー、2ルピーの金を出せないわけではない。
 自分たちの子供の学校を自分たちのできる範囲で、自分たちの手で運営するという親たちの自立の精神こそ、この学校を将来もずっとこの村に存続させる力になるだろう。私が将来、年をとって援助できなくなっても、学校は続いて行くだろう。
 
  今、この学校は自立に向かって動きだした。
 まだ数年間は、必要経費の半分以上は援助しなければならない状態が続く。また、校舎建設に数百万円はかかる。しかし、いずれ将来は、完全に自立する可能性が見えてきた。
 援助するということは、相手の自立を助けることに他ならない。依存させることは援助ではなく、かえって相手の力を弱めることになる。善意の援助が、人々から力を奪い自立を妨げるという事例をたくさん見聞きする。残念なことだ。
 このことはすべて、人を助けるという場合にあてはまる。助けるということは、相手自身の力を引き出し、それを発揮することを助けるということなのだ。飢えている人が居れば、まず食べ物を提供して健康体になってもらう。そのあとずっと食べ物や着るものを提供し続ければ、その人は自立できず、他人に依存する精神構造になる。そうではなく、自ら働くなどして食べてゆけるように手伝うことが、真の援助なのである。
 援助を仕事とするカウンセラーや医療従事者などは、患者が自分に依存し続けないように気を付けなければならない。いつまでも自分に頼らせては真の治癒は望めない。
 子供の親もそうだ。子供が自立して親から離れるのを手助けするのが親の役目である。
 矛盾するようだが、相手が援助を必要としなくなることを目的として援助をするのだ。

III 手をつなぐ会に感謝
 ヒマラヤ学校の設立後間もなく、池宮城弁護士を中心として、ヒマラヤ稲葉学校と手をつなぐ会が結成され、以来、私のこのささやかな援助活動を支えていただいた。協力してくださった皆様に、本当に感謝の気持ちでいっぱいである。
 多忙な裁判官の生活をしながら、夏や冬の休廷期間を利用して、気候も社会も交通 機関なども日本では想像もつかない悪条件のインドに、ひとりで何十回も通い、学校の運営を続けてきた。あるときは、信頼していたインドの友人に裏切られ、あるときは、学校の関係者が金銭的に正直ではないという現実に苦しんだ。琉球大学に異動してからは多少時間的には余裕があったが、やはり、インドでの一人旅はきついことに変わりはない。
 
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