また、毎朝、記念碑までの道で、歩道の真ん中にボロ
切れのように寝ている人に会います。いつも同じ男性で
す。事情があって住む家がないのでしょう。最初、人間
とは思わずボロ切れが落ちているのかと思いました。そ
れほどの状態です。
 最近、これはとてもおかしいと強く感じるようになり
ました。人が地面の上に寝ている。寒くなっても雨の日
も、寝るところがないのです。体をこわすにきまってい
ます。しかも、心も憩うことができません。同じ人間が、
このような生活をしているのを放置してはいけないと心
底思います。
 最近日本でも、講演や城跡などで、古い木材を使って
 
ビニールシートをかけた小屋がけの家に住んでいる人を
たくさん見掛けるようになりました。失業で家をなくし
た人たちです。もちろん土地使用の許可を受けているは
ずがありませんが、行政は今のところ黙って見逃してい
ます。私はそれを思い浮かべ、インドで空き地に小屋を
作ってしまったらどうなるだろうかと考えました。予想
できるのは、地主が雇った暴力団のような人たちがやっ
てきて、脅して撤去させるとか、力ずくで壊してゆくと
いうことです。インドは日本のように豊かでないので、
貧乏な人が多い。そういう人が勝手にどんどん小屋を建
 
  てるのを放置していたら、地主は自分の土地が使えなく
なって大変だと思うでしょう。
 しかしです。人間として生きている人が、毎日雨にぬ
れながら地面に寝たり、犬よりひどい状態を続けている
のをほっておいてはいけないと強く思います。本当に体
を張ってもこのおばあさんに住む場所を作るのが私の責
任だという、強い使命感に押されるようにして、日本に
帰ってきました。豊かな国アメリカが今、憎悪の的にな
ってテロの攻撃を受けています。日本も同じです。家も
余って、ファッションだ、ブランドものだ、高級車だとない、
食べ物もない人たちは、食べ物も着るものも有り
  いっている人たちを見て、どのように感じるでしょうか。
 私たちは、現にそのような人々を見なくても、その状
況を思い描く想像力だけは貧しくてはいけないと思いま
す。こういう人たちの気持ちを想像することからすべて
ははじまると思います。
 今後、自立のための学校作りはずっと続けるつもりで
すが、現に食べるものも寝るところもない人が、もっと
人間らしい生活ができるような具体的な活動を早期に始
めたいと思っています。手をつなぐ会の活動が、本当の
意味で世界に平和をもたらすものだと確信しています。
武力では決して平和も幸福も実現できません。
 
 
けではない。 ながい間その地の厳しい自然に苦しめら
れ、ついに人間の叡智でそれを克服し、多くの人に恵
みをもたらすなら、すばらしい発展だと思う。しかし、現
状を見ればわずかに残された沖縄の自然は今や政治
的道具として、無謀な投資として、あるいは形骸化した
惰性的な事業の生け贅として脅威にさらされ たままで
ある。
 衣食足りて礼節を知る。そんなことばを思い浮かべて
みる。 たとえば世界遺産としての価値があるといわれ
ているヤンバル の森林や動物たちを満足に守れない
としたら、われわれはあとどれほどの衣食に満足すれ
ばいいのだろうか。
 人は生活や仕事に追われ、あるいは多様化した娯楽
や情報の渦に巻き込まれ、本来は自然の一部でしかな
い自分(人間)を省みることもいつしか忘れてしまったよ
うだ。生活の豊かさの追求、自然という脅威の克服、そ
れはおおかた成功したようにも見えるが、冷静に世の中
を観察すれば、自然環境の破壊や汚染、大量殺教兵器
という、新たな刃がダモクレスの剣よろしく人の頭上にぶ
ら下がっている。なんともいびつな発展ではないか。ど
うやら人は引き返さざるを得ない道を歩んでいるようだ。
なりふり構わず進む人にはそれなりの覚悟も当然必要
で、その先にある落とし穴の深さや墜落の危険、その後
の状況に対する 想像力も必要である。そもそも発展な
るものが危険を雪だる式に膨らませていくのなら、果た
してそれを発展と呼べるのかはなはだ疑問である 。
 


 普通、自然環境というと、何かしら豊かさだけを意味する
よ うな言葉にとらえてしまうが、けしてそうではないと思う。
むしろ、人間が生き抜くために対峙してこなければならな
かった厳しさ、畏怖の意味がそこにはあると思う。砂漠地
帯や、高山地帯、寒冷地帯など、厳しい自然環境に生き
る人々の生活を、 おだやかな気候の地域に住むわれわ
れがどのくらい想像できるのだろうか。
 台風や早魃など時折見舞われる天災を除けば、過去こ
の沖縄の自然環境は人々を手厚く保護してきたと言える
かもしれない。かの地と異なり、豊かな自然の恵みを与え
てくれる海、イノー、干潟、森林などの沖縄の自然環境は、
島に生きるための糧であり、さらには現在まで続く文化の
礎であり、尊び感謝する対象であったはずだ。まさに豊か
さを意味する自然環境として恵まれていたにもかかわらず、
近年の発展は皮肉にも改良するべき対象として、これら
の自然を大規模に埋め立て削り汚し、瞬く間に破壊してい
った。これは自然の恩恵を忘れて恩をあだで返す行為と
いう程度のものではなく、じつは自然の持つ凶暴なまでの
厳しさを忘れ、自分から命綱を切り離そうとする自殺的行
為と言えるものである。
 もちろんわたしは開発のすべてがダメだと思っているわ
 
 

▲TOP▼
                   ▲次ページ▼


− 2 −