世界には、日々の食べ物も着物も有り余って裕福に暮 らしている人もいれば、食べるものにも事欠く人も沢山居ます。字もよめずに重労働だけの生渡を送る人も無数に居ます。ある量しかなければ、みんなで分け合うことが、創造主の意思なのだと感じます。 ヒマラヤでもアメリカのインデイアンの村でも、大自然の恩恵を受けながら、互いを自分のように大事にしあってくらすことの心地よさを感じてきました。これからもヒマラヤという地域にだけ限らずに、世界的な規模で、大自然の恩恵の中で、人々が分け合う生き方を実践することを願って活動を続けたいと思います。

コイ ララ氏が到着しました。ネパール国の首相が僻地の小中学校の開校式に出席するとあって村人達はざわめき立っていました。この学校は、稲葉先生が建設資金を個人で寄付し、現地 で奉仕活動をしている近藤先生そして村人達の協力で完成 したものです。学校の運営は国の方で営まれるということで、若い女性の先生方が何人かおりました。会場は青空の下でネパールのテレビ局も来て、村あげての一大セレモニー になりました。稲葉先生と近藤先生はコイララ氏と共に壇上に上り、私達日本から来た8人も来賓席に座り、記念すべき1日になりました。ムスタン地方の人々の生活は、ほとんど自給自足です。車もなく、人のカだけが頼りです。自然環境のきびしい中で文明からかけ離れた生活をするのはとても大変なことだと思いますが、人々の表情は明るくおだやかです。写真家の小松健一氏が「秘境ヒマラヤ・父と子の旅」(高文研)という本を出しています。反抗期の息子をつれて、 ネパール奥地のドルパ地方を取材で二カ月間の旅をした経験が書かれています。今の子供達は生まれた時から文明の便利さの中でそれが当たり前のように生きています。この 13才の少年は、現地の人々が人間の力だけで自然に立ち向かい必死に生きる姿を見て、何か感じるものがあったのだと思います。親は特に説教するわけではないのですが、過酷な旅をおえて日本に帰って後、少年はびっくりするほど変わったと書いてあります。ここムスタン地方の生活は現代文明からかけ離れたところですが、私はこのような生活こそ人間が生きる原点ではないかと思います。文明の中にどっぷりとつかって暮らしている私連には、もどることのできない社会ですが、ほんとうはこれが人間として生きる社会なのではないかと考えたりします。人間の生きる原点からはなれて行く私達文明人、そして文明にあこがれる現地の人々・・‥・・いろいろ考えさせられる旅でした。
 2000年4月29日、ネパールのジョムソン空港に私達は降 り立った。真っ青な空に、突きさすように立つニルギリ山の白い頂きがまぶしく美しい。4月25日に那覇国際空港を出発して、4日目のことです。標高2700メートルのジョムソンは、ムスタン地方の入口で、ネパールの中でも奥地す。ここからの交通 手段は、歩くか馬に乗る方法しかあり ません。5月2日、ジョムソンから馬に乗って、カリガンダキ川に沿って30〜40分下り、マルフアという小さな村に着きました。村の家々は後ろの山肌にだかれるように立っていて、 昔からの宿場村です。民家とカリガンダキ川の間は畑が広 がっていて、ちょうど、麦の穂が青々とゆれて美しい風景です。畑の畔道を通 り、河原の近くに新しい学校が完成し ていました。今日はその学校の開校式の日です。石造りの平屋の校舎は、ロの字形になっていて、真ん中は芝生の中庭になっています。このムスタン地区は、毎日昼頃から山 からの強風が吹きつけるので、たいていの家はこのようなパティオのある造りです。学校のそばで大勢の村人と生徒達が集っていました。やがて、ヘリコプターが河原に降りて、この国の首相
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